毎日が勉強だ。

勉強にもいろんな種類があること、いろんな機会にいろんなことを学べること、そんなことに最近少しずつ気付いてきた気がする。

成功は、自己を肯定するための栄養で、失敗は、成長への気付きのきっかけかなぁと思う。

知りたいと思うことが、ひとつずつ増えていく。

気付けていないことって、本当にたくさんで困ってしまう。

帰り道、とても明るく、月も丸いから、もしやと思い暦を見れば、今日は満月。

ル=クレジオさん、池澤夏樹さん、津島佑子さん、結城幸司さん。

知里幸恵さんの話、先住民族の語りと文学というタイトルの会に行ってみた。


フランス語を理解できないために、講話自体も、対話の流れも、未だ咀嚼できていないのだけれども、ル=クレジオさんが話した内容に「調和/均衡を知る社会」との言及があり、その調和とか均衡とかいう概念について考えることは、これからしばらくの間、私の課題となりそうな気がした。

先住権という権利についても調べること。

あなたが必要、と言ってもらうことの心強さ。


得るもの、ありました。


池澤夏樹さんが実は最近フォンテーヌブローから札幌に居を移されていたという新事実も、サプライズな収穫。でもきっとまたどこかに行ってしまうんだろうなあ。これは余談。


はじめて聴いたトンコリの響きは、ずーっと、黙って聴いていたかった。

語りの声もなかなかよかったんだけど。

トンコリの響き、よかったなあ。

たまたまチケットをいただいて、コンサートに行ってきました。

アダム=フィッシャー指揮
オーストリアハンガリーハイドンフィルハーモニー札幌コンサートホールKitara大ホール

演目
柿沼 唯:ハイドンの庭
ハイドン:第45番 嬰ヘ短調「告別」Hob.I-45
ハイドン:トランペット協奏曲 変ホ長調Hob.?e-1(トランペット、ハンス=ガッシュ
ハイドン:第104番 ニ長調「ロンドン」Hob.I-104
ステージの上のあたりの席だったので、コントラバスファゴットが近くてぞくぞくしました。

指揮者の表情もよく見えてすごく面白くて、まるで、自分もステージ上にいるかのような錯覚に陥りました。

音の届き具合は、それでもやはり、オーケストラと対峙する形がいいのかもしれないけれど、面白かったです。

コンサートホールが身近にある環境ってすばらしいと思います。

『終末のフール』読んだ。

おもしろくてスイスイ読んでしまった。

スイスイと話が進んで、出会いが調和して、それぞれに終末に向き合う。

みんなそれぞれに、衛星なんじゃない。

あたりまえをうたがってみれば、ありがたみに変わるかな。

いいと思いました。

献血のあと、翌日でも、走ってはいけない。

あと、血を抜くと眠たくなったり、いらいらしやすくなるのは、どんなときもかわらない。

前回もあわせて、どうもヘモグロビン値がたりない。400ml献血ができない。貧血というほどではないけれど、どうしたものか。何度も学習しては忘れる。とりあたま。

なぜか、太ももの付け根が痛い。

造血はどの内蔵が行うのか?

まさか、付け根?

どこだったかな、、、肝臓、、、?


とりあえず、今日は汁物ばっかり飲んでいた。

妊婦さんみたい。

野菜ジュースのボタンを押したら、グレープフルーツジュースが落ちてきて、うけた。

多分、鳩が豆鉄砲を食らったような顔、してたと思うよ。

くるっぽー

もらいものをしてばかり。

ひとつもらったら、少なくともひとつお返しができるようにしたいのだけれども。



コンピレーションを作る、なんて、ハイ・フィデリティという映画の結構重要なシーンにありました。

存在の耐えられない軽さ。

チェコカレル・チャペックの国。

ダーシェンカ、かわい。